虚子と漱石

2010.06.28
丹波春秋

 今、芦屋市で市島町出身の西山泊雲、野村泊月の兄弟俳人を中心とした展覧会が開かれている。2人は代々酒造業を営む家に生まれ、兄の泊雲が西山酒造を継いだ。展覧会が開かれているのは、虚子記念文学館。2人は、俳人高浜虚子の教えを受けた。▼泊雲の営む酒造業が傾いたとき、虚子が支援したのは有名な話だ。西山酒造の銘酒を「小鼓」と命名。俳誌「ホトトギス」誌上で大いに宣伝し、ホトトギス発行所でも小鼓を取り次いだ。虚子が泊雲という俳人をどれほど大事にしていたかがわかるエピソードだ。泊雲は、やがてホトトギスの代表的な作家になった。▼虚子は、夏目漱石を小説家の道に誘ったことでも知られる。「文章を作ってみたらどうか」と、虚子が漱石にかけた言葉がきっかけで『吾輩は猫である』が生まれ、「ホトトギス」に掲載された。▼その漱石にゆかりのある人物が、本紙6面で掲載している富澤珪堂だ。春日町の少林寺に養子に入った珪堂は、漱石と手紙のやり取りをし、東京にある漱石の家で遊んだことがあり、葬儀にも僧として加わっている。▼泊雲といい珪堂といい、丹波の人物が同時代に、日本の文壇を代表する人物と密接につながっていた。丹波の文化が、どれほど広いすそ野を持っていたかがわかる。後世にも伝えたい史実である。(Y)

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