大阪学院大学教授 藤田弘道さん

2010.07.26
たんばのひと

歴史を生涯の研究に
(ふじた ひろみち)東大阪市在住

1945年 (昭和20) 篠山市旧雲部村生まれ。 篠山鳳鳴高校、 慶応義塾大学法学部卒。 同大学院修士課程修了。 78年に大阪学院大学法学部助教授、 2001年から教授。

 大阪学院大学 (吹田市) で日本法史・政治史を教える。 慶応義塾大学の卒業論文、 大学院の修士論文は篠山に関する史料を用いた。 以後、 歴史が生涯の研究テーマになった。
  「お寺に生まれたのが影響したのか、 小学生時代から歴史が好きで、 中国の歴史を調べてレポートにしたこともありました」 と話す。 高校時代は地歴部に所属。 大学は、 法学部に進み、 日本政治史を専攻した。 卒業論文は、 大山荘 (荘園) の研究。 平安時代に成立した大山荘は、 京都の東寺の領地。 「寺院を維持するために年貢を納めていた。 東寺のバックには貴族がいて、 貴族の力が弱まれば、 国司が介入してくるなど、 力関係が読み取れる。 現在にも通じるのが歴史の面白さ」 と言う。
 修士論文のテーマは、 第一回衆議院選挙に篠山から出馬して当選した自由民権運動家、 法貴発。 「法貴が出した手紙の草稿集が大学にあることがわかったのもラッキーだった」 と語る。 「当時、 専門家でないと入れないような宮内庁の書陵部などにも、 閲覧を申し込んだ。 『この資料がここにあるはず』 というと、 出してくれたこともありました」 と言い、 ジャーナリスト精神を発揮した。
 研究者としての処女論文は、 明治初期刑法史に関するもので、 以後それらが研究テーマとなり、 2000年にそれまでの論文を 「新律綱領・改定律例編纂史」 としてまとめ、 慶應義塾大学に学位を申請し、 その翌年に博士 (法学) を授与された。 後に学術書として出版。
 現在、 法学部長で、 日本法政学会理事長。 篠山鳳鳴高校同窓会阪神支部長として、 母校や同窓生との絆も大切にする。 「昨年、 篠山鳳鳴高校同窓会の丹波市支部発足総会で、 大学の教え子にばったり出会った。 うれしいですね」 と顔をほころばす。    (臼井 学)

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