ある人が若いお父さんに忠告した。「子どもと遊んであげてくださいね」。それに対して父親は「でも、まだ2歳ですからね」。要領を得ない返答だ。2歳ならばもう十分、一緒に遊べるはず。その疑問を父親にぶつけたところ、「2歳でゲームはできないでしょ」。嘘のような本当の話だ。▼人は、体験から知識を得る。本やテレビなどから得るものは、知識というより情報だ。情報を自分の頭で考え直したり、消化する体験を通して初めて情報は知識となる。▼この父親も、ゲーム以外の遊びを知らないはずはなかろう。遊びの情報はあるはずなのに、遊びといえばゲームしか連想できない。それは、うんざりするほどゲームをしたことはあっても、それ以外の遊びの体験が恐ろしく貧弱なためだろう。このため、2歳の子とどのようにして遊ぶかという知識がない。▼こんな話も聞いた。子どもとレクリエーションを楽しんでいるとき、小学校高学年の子が聞いてきたそうだ。「この遊びは何のためにするんですか」。遊びに理由はない。遊びたいから遊ぶ。それが本来なのに、遊びに明確な目的を求める。何とも寒々しい話だ。▼以上の2つの話はいずれも最近、聞いたもの。夏空の下、ランニングシャツに半ズボン姿で元気に遊び回る子どもの姿は彼方に消え、幻影となった。(Y)