東日本大震災の被災地の三陸海岸に派遣されていた丹波、 篠山両市消防本部と丹波市水道部の職員が3月20日、 帰丹した。 両市消防本部は、 宮城県南三陸町で救急、 救助活動に従事。 丹波市水道部は岩手県宮古市で給水活動を行った。 がれきにふさがれた道路、 乏しい燃料、 厳しい寒さに加え、 支援体制が十分構築されていない中で、 いずれの隊も 「もっと活動できたのに」 と悔しさをにじませた。 隊員に現地での活動の様子などを聞いた。 丹波市消防本部、 市水道部は職員を交代させ、 支援を継続中。 下水道管路調査のため22日、 建設部職員を派遣。 保健師らを27日に仙台市に派遣する予定。
丹波市消防は、 衣笠祥民署長補佐ら4人、 篠山市消防は大路悟消防指令補ら5人が出動。 ベースキャンプの宮城県石巻市運動公園から1時間半ほどの所にある南三陸町で救急活動を行った。 ほとんどの建物が倒壊し、 がれきしかない状態。 一つのまちが一度になくなった印象だったという。
丹波市消防は、 大規模な避難所の1つに常駐し、 不明者を捜索する隊員をピストン輸送したり、 救急患者を病院に運んだ。 2週間前まで入院していた55歳女性が避難所で病状が悪化し、 加療が必要となったことから1時間半かけて総合病院へ搬送。 道案内で現地の消防本部の隊員に同乗してもらうことが多かったが、 親せきや同僚が行方不明という人もいた。
何ごとにおいても予定通りには進まなかった。 被災地の状況が変わるにつれ、 午前に連絡があったシフトが午後には変わっていた。 大きな災害現場でありながら待機時間があった。 本来なら待機時間を少なくしてもっともっと活動したかったし、 もっと活動できる場があるのではないかと思ったという。 2次隊には、 とにかく自分たちから動き、 手をあげれば回りが使ってくれる―と引き継いだ。
篠山市消防は、 行方不明者の捜索にあたった。
17、 18の両日は、 5―10人の行方不明者がいた波伝谷 (はでんや) 地区で活動。 自衛隊が道を復旧させつつあったが、 それでも同地区では途中、 車を降り、 1時間かけて徒歩で現地に向かった。 家らしき家はなく、 がれきの山をバールなどで除き、 捜索。 隊員の1人ががれきの中で70歳代の女性の遺体を見つけた。 3―4メートルの高さにまで積み上がったがれきの山から他の消防隊員ら約20人と協力し、 下の方まで運んだ。