俳句に詠み込む

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 「秋蝉も泣き蓑虫も泣くのみぞ」―高浜虚子が「詔勅を拝し奉り」、敗戦の日に詠んだ句である。「俳句の向こうに昭和が見える」(教育評論社)に引用した著者坪内稔典氏は「蝉や蓑虫は虚子と同一視されて迷惑かもしれない。人間のおこした戦争などには関知せず、自分らは勝手に鳴いてるんだ、と文句を言うだろう。蝉や蓑虫が人間と違うことを無視するのは傲慢」と指摘している。▼同書は、やはり「終戦の大詔を拝し」詠んだ中村草田男の句「烈日の光と涙降りそそぐ」も挙げ、同時に楠本憲吉が「戦後の俳句」で取り上げた、玉音放送を聴いての句として、この句のほかに「一本の鶏頭燃えて戦終る」(加藤楸邨)など5句を紹介している。▼春秋子には、草田男を含め6句のうち5句とも、敗戦を何らかの高ぶる気持でもって詠み込んでいるように見えるのだが、中で日野草城の「玉音のまぎれがちなり汗冷ゆる」だけは、どこか冷めた耳を感じさせる。▼これはあくまで春秋子の感想にすぎず、坪内氏自身は「いずれの句も玉音放送の日の風景の断片であって、絶望とも希望とも読める。俳句はこうした曖昧さを特徴とするのだ」と述べているだけだ。▼それにしても、戦争俳句の片山桃史(春日町出身)をこよなく可愛がったという草城は、気になる存在ではある。(E)

 

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