デカンショ

2012.08.18
丹波春秋

 「丹波篠山 山家の猿が花のお江戸で芝居する」。ご存知、デカンショ節の歌詞だ。芝居をするというのだから、見栄も切るだろう。花のお江戸にひるむまいと、背伸びをし、虚勢を張る。しかし、本性は、山野の中でのびのび育った「山家の猿」。都会の虚飾とは正反対の純朴さ、実直さが山家の猿の真骨頂だ。▼篠山出身の歌人、小畑庸子さんに、「まとひたるものがばと解き湯に浸る丹波ささやま夜の底にて」という歌がある。古里の湯に浸り、自分をおおっているものを振りほどき、素の自分に戻る。その心地よい開放感。素の自分とは、てらいや世のわずらわしさとは無縁の山家の猿かもしれない。▼篠山の夜の底で、デカンショ踊りが繰り広げられた。老若男女が、やぐらを囲んでデカンショを踊った。山家の猿の素直で、原初的なエネルギーが爆発した。▼デカンショを研究した南松雄さんはこう書いている。「デカンショとはデカンショ節とかデカンショ祭りとか、それだけの狭い意味ではない。…丹波篠山に住む人達のなまの生きた連綿として流れる生活の営み、文化そのものを表現している」(『郷友』374号)。▼デカンショとは、丹波篠山もしくは山家の猿を丸ごと表わしたものなのだ。祭りは今年で60回だったが、数字には置き換えられない深さがある。(Y)

 

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