今日12月9日は、夏目漱石が死去した日。その漱石の葬儀に加わった僧の一人に、丹波ゆかりの僧がいた。播州・安富町の生まれで、春日町の少林寺に養子に入った富澤珪堂だ。珪堂は、東京にある漱石の家を訪ねたこともあり、漱石と手紙をやり取りする仲だった。▼漱石は、若き僧侶だった珪堂を頼もしく思っていたようで、「葬式の時、来て引導を渡してください。私に宗旨はありませんが、私に好意をもってくれる偉い坊さんの読経が一番ありがたい」などと書いた手紙を送っている。▼この手紙も含めて確認されている漱石の手紙は2500通以上あるらしく、漱石は無類の手紙好きだった。しかし今では、手紙よりもメールが主流になっている。▼12月2日付の弊紙で、河合雅雄氏が「ケイタイ」についてのコラムを書かれている。その中に「便利で楽しいという反面、むしろ弊害の方がまさってきたように思う」とある。過度のケイタイ依存は、人間関係の弱化や社会性の喪失などを招くと指摘されている。▼手紙からメールへ。こうした社会の進展がもたらす弊害を、漱石は見抜いていた。「文明はあらゆる限りの手段をつくして、個性を発達せしめたる後、あらゆる限りの方法によってこの個性を踏みつけようとする」(『草枕』)。漱石亡き後も、その言葉は今に生きる。(Y)