大河ドラマ「八重の桜」

2013.01.24
丹波春秋

 会津若松の街角で酔っ払いが立ち小便をしていたら、通りかかったおじいさんが「バカ野郎、小便たれるなら長州の方に向いてしろ!」と怒鳴った。▼25年ほど前、福島で勤務していた頃、親しかった地元の大学の先生が繰り返し話していた。戊辰戦争から150年近く経ってなお、戦後辛酸をなめさせられた会津人の明治政権への遺恨は根強い。先述の話はともかく、娘を山口には絶対嫁がせたくないと思う親が多いのは事実である。▼「会津の三泣き」という言葉も聞いた。昔の新聞記者が書き遺したもので、「東京から赴任する時、あんな雪深い辺地へ…と泣き、そのうち厚い人情にほだされて嬉し泣き、そして離任で別れがたくて泣いた」という。▼確かに会津の人たちは例外なく、言葉遣いが非常に丁寧で、いちず。土地への誇り、威厳と共に誠実さが伝わってきて、こちらも自ずと襟を正すような気持にさせられた。▼会津藩は江戸末期にいち早く、天文台や水練場を備えた藩校「日新館」を開き、武士道を叩き込んだ。大河ドラマ「八重の桜」に登場する新島八重の兄、山本覚馬も同校に学び、成績優秀者として江戸に派遣されて見聞を広め、帰郷後砲術や蘭学の教授に迎えられた。その薫陶を受けた八重が、これからどう時代を先駆ける女性に育っていくのか、楽しみである。(E)

 

関連記事