ふるさと

2013.03.30
丹波春秋

 大路村生まれの詩人、深尾須磨子についての講演を聞きに行き、「山帰来」という詩を知った(本紙6面)。「別れて久しい私の村は 過疎地帯みたいにひっそりしていた」で始まる。そんなふるさとで、須磨子は小学校時代の同級生に出会う。▼「仙ちゃん」といい、「すっきりしたカッコいい男の子だった」。ほかの男の子たちが須磨子をからかうと、仙ちゃんはいつも須磨子に味方した。そんな仙ちゃんが須磨子は大好きだった。しかし、半世紀以上の歳月を経て再会した仙ちゃんは、須磨子のことを覚えている様子がなかった。▼それどころか、その腰は大きく曲がり、人間離れしたような「くの字型」。声も言葉つきも年寄りじみていた。仙ちゃんと別れるとき、夕日が二人を照らした。「山の夕日が 仙ちゃんと私の影を くっきり二つに分けた」▼仙ちゃんと須磨子。それぞれの道を歩んできた二人の間には溝ができ、再び交差することはなかった。影がくっきりと分かれたように、仲の良かった二人は「孤」として分離した。▼ふるさとには、「後家に人気のあった和尚さん」も「流れ者のおいわさん」もすでになかったが、「くすの大木が昔のとおり風をうけ流していた」。歳月の流れに人は逆らえない。しかし、「山あれば川がある」ふるさとの自然は泰然として揺るがない。(Y)

 

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