亡くなった大島渚・映画監督に、筆者はいささか恩義を感じている。大学4年の時受けた新聞社の入社試験で、「指導者」という作文の題が出た。何を書くかと思案するうち、少し前に「日本の夜と霧」という映画を観たのを思い出した。安保闘争の活動家達を描いた作品だ。▼高揚感からやがて挫折した元同志たちはばらばらになってしまう。全学連のリーダーだった大島の想いを込めた作品に違いないが、客の入りは悪く、公開数日で上映中止になった。映画マニアだった筆者はその5年後に何かの上映会で観たと思う。▼こじつけみたいに書いた「指導者」の作文は全く自信がなく、「筆記合格」の電報が来た時は驚いた。切り口だけは異色だったのだろう。面接でも試験官から「君は松竹に行ったら?」と冷やかされるほど映画の話をしたようだ。▼先日、丹波市の「ありがとうメッセージ」表彰式のイベントで来られた大島夫人の小山明子さんに50年近く前のこの話をし、「『夜と霧』を観ていなかったら、入社試験には通らず、私の人生も違っていたことでしょう」と礼を言ったら、「あの映画は出演した私にもさっぱりわからなかったの」と苦笑され、大島さん自筆の墓碑銘のメッセージを下さった。▼「深海に生きる魚族のように自ら燃えなければ何処にも光はない」と書いてあった。(E)