水無月

2013.06.27
丹波春秋

 6月のことをいう「水無月」は、水のない月ではない。昔の「な」は今の「の」の意味なので、「水の月」が正しい説だそうだ。田に水をたたえる月。これが水無月の由来だという。▼水無月の先日、吉見伝左衛門についての投書が本紙に載った。戦前、市島町鴨庄に農業用ため池を築いた元村長だ。干ばつから村を救いたいと奔走し、幾多の困難を乗り越えて成し遂げた。今も伝左衛門を慕う住民は少なくない。▼ため池の築造にまつわるエピソードの一つに、工事中の堤の一角に、両親の戒名を書いた白木の位牌を埋め込んだ話がある。夜も明けないうちに家を出て、人知れず位牌を埋めた。位牌は、工事の完成を祈願した人柱だったのだろう。ため池にかけた覚悟のほどがうかがい知れる。▼幕末の儒学者、佐藤一斎に「すべて事業をするには、天に仕える心を持つことが必要である。人に示す気持ちがあってはならない」という意味の言葉がある。ため池の築造に周囲が抵抗した時も、伝左衛門は、正しい事業ならば必ず天が味方してくれると信じて疑わなかった。白木の位牌は、そんな天へのメッセージだったのか。▼水無月が終わると、文月になる。「ふみ月」は、稲の穂がふくらみ始める月、「ふふみ月」の転との説がある。伝左衛門は今、天から村の豊作を願っている。(Y)

 

関連記事