本欄の共同執筆者、Yが自筆のこれまでの分を本にした。まとめて読んでみると、彼の死生観が随所に出てくることを強く感じる。2、3挙げると、「桜にはどことなく死の影が漂う」「生は死という海に浮かんでいる一艘の小舟」「人は葬儀の時、人生最初で最後のスポットライトを浴びる」などなど。▼また、まえがきには「死という締切を前方に置くことで、生に向き合える。しかしながらその死がいつ訪れるかわからないため、ついつい気が緩んでしまう」とある。▼「55歳を人生のひとつの区切りとしてこの出版を思い立った」というYは、「原稿の締切も区切り。締切がなければなかなか書く気になれない」とも述懐している。書くことを業にする者なら誰しも思うことではあるが、それを人生と結びつけるほどの想像力は筆者Eには欠けていた。▼舞台裏を明かすのは禁じ手ながら、本欄の出稿を続けるのはなかなかしんどい。今日終わればすぐ来週のテーマを思案しなければならない。ぼやっと過ごしていると、あとで苦しむ。全く、締切があればこそ何とか続けられているのだ。▼そうか、これから後の人生を無為に費やさぬためには、仮の締切を自らに課していけばいいのか。それとて決してた易いことではないが、ひとつのヒントをもらった気はする。(E)