過去、たびたび水害に見舞われた福知山市に治水記念館がある。水害と闘った先人の労苦を顕彰すると共に、水害の歴史を伝える施設だ。そんな記念館がある福知山にまた一つ、水害の歴史が加わった。テレビで映し出された惨状には息をのんだ。▼自然が猛威を振るうたびに、人の卑小さを思い知らされる。自然がきばをむいたとき、人は途方に暮れ、ひれ伏すしかない。福澤諭吉が唱えた「人間蛆虫(うじむし)論」にうなずくばかりだ。広大な宇宙に比すると、けし粒のような存在の人間は無知無力で、見る影もなく、蛆虫のようなものという。▼しかし福澤は、そんな蛆虫にも覚悟があるとした。宇宙から見ると、一場の戯れでしかない人生だが、まじめに人生に取り組み、己の本分をまっとうするという覚悟だ。それが蛆虫でありながら万物の霊である人間の誇りなのだ。▼「この秋は雨か嵐か知らねども今日のつとめの田草とるなり」。二宮尊徳はこう詠んだ。幼時、川の氾濫で田畑の大半が土砂に埋まり、15歳の時にも氾濫で田畑のすべてを失い、一家離散の憂き目にあった尊徳には、災害の恐ろしさが骨の髄までしみこんでいただろう。▼そんな尊徳だが、災害はいつかまた来ると観念しつつ、今やるべきことにひたすら精を出すのみとした。神々しいまでの覚悟だ。(Y)