先月シルクロードの旅に出る際、にわかに読んだ井上靖「敦煌」の中で強く印象に残ったシーンがある。敦煌が西夏軍によって陥落する前々夜、宋の都から流れ流れここまで来ていた主人公の行徳が、騒然とした街のさる寺で若い僧侶が3人、膨大な数の経巻を延々と選り分ける作業をしているのを見かける。▼「何をしているのか」と問いかけると、「寺に火がかかった時、選り分けたものだけを持って逃げる」。たとえ皆が避難を急ごうと、これらの経巻を見捨てるわけにはいかぬという理由は、「これまでに読んだ経巻の数は知れたもの。読んでいないものがいっぱいある。俺たちは読みたいのだ」。この言葉に行徳は身体中がしびれるのを感じた。▼これが、有名な千仏洞に何万巻もの貴重な経典が以来1千年に渡って生き延びるきっかけとなったという。創作ながら、ともあれ何らかの強い意思が働いて、この人類遺産の消滅が防げたことは確かだろう。▼廃墟となって砂に埋もれた故城に立ち、「悠久の歴史の前で、個人は何と小さな存在か」ということを、つくづく感じた。さらば人生など刹那的に費やしても同じではないか、との考えに囚われそうにもなる。▼だが、「まだ読んでいないものがいっぱいある」と囁かれた時、あなたならどうする?―作者はそう問いかけているのかも。(E)