宮沢賢治に「なめとこ山の熊」という童話がある。主人公は、熊捕り名人の小十郎。小十郎は好きで熊を仕留めているのではない。家族を養うため、やむなく生業としている。熊を撃つたびに、小十郎は「てまえを憎くて殺したのでねえんだぞ」とささやいた。▼熊たちは、そんな小十郎を好いていたのだが、最後に熊に殺される。意識が薄れる中、小十郎は心の中で「熊ども、ゆるせよ」とつぶやく。生活のためとはいえ、殺生をしてきたことを詫びながら息絶える。熊たちが小十郎の死骸に寄り集まり、その霊を弔う場面でこの童話は終わる。▼河合雅雄氏は、この場面を人送りの儀式とし、アイヌの熊送りの祭と重ねている(「宮沢賢治の心を読む」)。熊の死骸を囲んで祭をし、肉や毛皮を与えてくれる熊に感謝しつつ、霊をあの世に送るのだ。▼人は、生きとし生けるものの命を取らずには生きられない。しかし、人は、生きとし生けるものの一つであり、何ら特別なものではない。そんな思想が熊送りにはあると、梅原猛氏はいう。▼最近、熊の話題が弊紙をにぎわせている。出没や被害が続く場合は、有害捕獲として殺処分されるという。やむない措置であろう。しかし、熊も生きとし生けるものの一つ。そんな措置をとらせぬよう、どうか奥山にひそんでいてほしい。(Y)