飢饉の恐怖

2014.01.08
丹波春秋

 寝正月しながら、田家たんげ康やすし著「気候で読み解く日本の歴史」を読んで気付かされた。つい百年ほど前まで、我々は絶えず飢饉の恐怖に晒されていたのだ。▼とりわけ古代、中世は数年おき、ひどい時は毎年のように、照れば干ばつ、雨が長引けば冷害に悩まされた。総人口が数百万人の時代に十万人単位の餓死者が出た。▼富士川べりで平氏軍が水鳥の羽ばたきに驚いて逃げ出したという源平盛衰記の場面は、西日本の深刻な干ばつによる戦意喪失が背景にあったのではないかという。戦国武将が各地でせめぎ合ったのも、凶作で土地を捨て暴徒となりかねない農民を足軽雑兵として雇用すると共に、戦利品を奪わせて反抗を抑える面があった。▼新年がめでたいのは、「また生き長らえて歳を重ねることができる」故なのだろう。神仏への五穀豊穣の祈願は、現代人が「家内安全、商売繁盛」とお題目を唱えるのとは比べものにならないほど切実だったはずだ。▼同書によると、10世紀頃の京都市内の3月の平均気温は7度前後、最も高い年で7・6度。これを超えるのは、20世紀後半になってからという。昨今の気候変動は食糧事情に何をもたらすのか。少なくとも世界史上、「飢饉」は決して死語にはなっていない。食っちゃ寝して緩んでしまった姿勢を、多少とも立て直さねば。(E)

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