ソチ五輪が始まった。出場回数を重ねるベテラン勢の活躍もさることながら、中高生など10代の選手のはつらつとした姿が頼もしい。日本の若者、まだまだ捨てたものではない。ところで、▼「七年は生きねばならぬと今朝決めた東京五輪を見届けたくて」―2日号掲載の本紙「うたの小箱」の作品。「国内の難問解決が優先などという声もあるが、やはりこの決定はイコール希望なのだと思った」と、評者は書いている。▼春秋子も「東京に決定」を聞いた時、「浮かれている場合かね」とまず思ったが、同時に「世界のトップ選手たちを身近に見られたらいいな」という方にも傾いた。しかしこの作者は「今朝決めた」と気持ちをナイーブに、きっぱりと吐き出した。そうか、春秋子も含め余命を気にし始めた年代にとっては、これは「希望」だったのだ。▼しかし、「小箱」の評者は「東京五輪を見届けるということは、原発事故処理や年金、雇用問題など全てを見届けることにつながる」とも指摘する。▼これらは7年経ったとて、見届け終えられないだろう。決してナイーブには考えられない手強い問題だ。「あとは頼もしい若手に任せる」と割り切ってしまうのもちょっと気がひける。誠に希望も不安もあざなえる縄のようだが、それでも生かされている限りは生きていかなければならぬ。(E)