2014.03.15
丹波春秋

 早春のこの時期、ご飯の友の定番がある。フキノトウのつくだ煮だ。白いご飯の上にそっとのせて食べると、食が進む。「蕗(ふき)の薹(とう)見つけし今日はこれでよし」。これは青垣出身の俳人、細見綾子の句。フキノトウは、綾子がもっとも好んだ食物だった。▼早春の地を割って出てくるフキノトウ。綾子も、フキノトウを口に含みながら春の土の恵みをかみしめたのだろう。そんな綾子が作詞した母校の芦田小学校の校歌は、「土の恵みの香の中に」で始まる。綾子にとって、丹波の土は特別なものだった。▼著名な宮大工、西岡常一は、同じく宮大工だった祖父の意向で農学校に進んだ。「人間ちゅうもんは土から生まれて土に返る。土のありがたさを知らなんでは、ほんとの人間にも、立派な大工にもなれはせん」。それが祖父の考えだった。▼ブラジルに移民した日本人は、まず土のひとかけらを口にし、なめたという話がある。なめることで土の良否を知り、どんな作物が適しているかを考えた。土をなめる行為にヨーロッパ系の移民は驚いたそうだが、日本人にとって土はそれほど近しいものと言える。▼土は作物を育てる。しかし、それだけにとどまらない。西岡が農学校で土に親しみ、綾子が「土は、父とも母とも同じものです」と書いたように人も育てる。(Y)

 

関連記事