ウクライナの農業取材に仲間と共に訪れたのは20年前。ソ連から独立して間もない頃だった。黒々とした畑をでっかいトラックがゆきかって、よく陽に焼けた農婦らが玉ねぎの収穫に余念がなかった。コルホーズが民営化されたばかりの農場は、中心部にちょっとした街があり、後で調べると総面積は柏原町と同じくらいだった。▼人々はこの上なく陽気で、森の中へのピクニックでご馳走になった昼食で、ウオッカで何度も乾杯させられるのに往生した。混乱期のこと、問題は山積していたはずだが、加工場の計画に西・北欧から資本参加の話が来ているとかで、場長らの目は輝いていた。▼極度のインフレのため、首都キエフで交換したお札は0がいっぱい並び、計算が面倒で困った。レストランの出口で、ごく品の良い顔をした老婆が「年金では暮らしていけません」と物乞いをしていた。▼市場に珍しい野菜や果物がいっぱい積まれているのにカメラを向けていると、中年の男の客が「外国人がけしからん」とでも言うのか、カンカンに怒り出した。フラストレーションのたまった風の市民も少なくないようだった。▼ヨーロッパの穀倉地帯ウクライナからはその後も色々なニュースが報じられ、曲がりなりにも皆奮闘しているように見えたのだが…。危機の一日も早い収束を願う。(E)