筆者の属する柏原ライオンズクラブが50周年事業として、織田藩陣屋跡向かいの歴史民俗資料館横庭に織田信包の石像を設置してから2カ月余り。我田引水ではないが、結構うまくおさまって、ハンサムな顔が観光客からも好評という。▼色が白すぎて、周りから少し浮き上がった感じがしないでもないが、雨風に打たれるうちに落ち着いてくるだろう。ただ、隣にある田捨女の石像を見ると、初代磯尾柏里の力作ながら、60年の風雪を経て真っ黒に変色している。信包をああいう風にはすまい。▼50年記念誌編集の際、郷土の偉人の代表としてこの捨女像と、JR柏原駅前の田艇吉翁の銅像の写真を撮影して収録したが、艇吉の方も随分くたびれているのに気付いた。モーニング姿のズボン、それに靴が泥だらけのようになっていて、何とも気の毒だ。▼艇吉は、この人あって柏原のみならず丹波地域全体の近代が開かれた大恩人だ。その先祖に当たる捨女も観光に大きく貢献してくれている。それらの像をこの状態で放置しておくのは、我々後世の者の恥と言って過言ではない。▼石像でも銅像でも下手に磨いたら却って、一層いためる恐れがある。専門家の手を借りなければならないかも知れないが、さほど多額の費用がかかることではなかろう。官民を問わず、志を期待する。(E)