中井権次顕彰会のメンバーに加わって京都の長香(ちょうこう)寺へ。権次の祖と目される中井正清家の菩提寺である。正清は徳川家康から初代京大工頭に取りたてられ、二条城、江戸城、名古屋城や日光東照宮など様々な重要建築を担当した。▼「従四位下・大和守」の官位を与えられ、1千石を知行。大坂の陣に当たっては密命で絵図を作成したというから、ただの大工でなく、家康の側近的な存在だったらしい。墓地の優に3メートルある五輪塔がそれを偲ばせた。▼寺にはいかにも正清好みと思われる、様々な石を配した庭があり、簡素ながら風格を漂わせる。中井家からは紀州徳川家の殿様の側室も出て、8代将軍となった吉宗を産んだという。本堂には葵の紋の入った位牌が並んでいた。▼近畿各地の寺社に竜や霊獣など数々の作品を残した柏原の中井権次一統は、4代目から彫刻師となるが、元は柏原八幡社三重塔の造営の際に2代藩主織田信則が招請した宮大工。京都の中井役所にいたことから、正清につながると言われているが、ただ、「後裔」たる確かな証拠は残っていない。八幡社ほか様々な彫刻の作品群が示す傑出した技術がそれをうなずかせはするのだが。▼権次顕彰会は、代々の人物、業績などの情報を発信していく計画だが、一統のルーツについてもさらに解明が進むことを期待する。(E)