集団的自衛権の解釈

2014.07.10
丹波春秋

 「集団的自衛権」の行使が閣議決定により、憲法解釈の変更で容認された。戦後70年、米国の核の傘の下で平和を享受してきた日本だが、東西冷戦体制の崩壊、中国の脅威の拡大、米国の力の衰えという国際情勢の変化に対応するには、やむを得ない措置というわけだ。▼終戦後間もなく入学した筆者の世代は「戦争を放棄した憲法は世界に誇れるもの」と教えられてきた。自衛隊の創設から海外派遣まで、任務を戦場に一歩一歩近づけてきた歴代政権も、集団的自衛権に関してだけは、否定せざるを得なかった。▼それが、国会での論戦もなく一政権の解釈だけで大転換することには、釈然としないものを感じる。しかしながら、世間では同様に感じている人が多いようにもかかわらず、反応が穏やかなのは、問題が難しすぎるからか、景気の先行きの方が大事だからか。▼とまれ、普通の国になった以上、「この70年、武力によって誰1人殺さず、殺されなかった」という矜持は崩れ去ることを覚悟しなければならない。▼友人が「後代の学者が様々に批判、解釈するにしても、同時代の国民にはそれほど自覚がないまま、事態だけが進んでしまうのか」とメールしてきた。国際情勢をにらみながらも、普通の国になることの是非を、国民レベルでいま一度議論すべきではないか。(E)

 

関連記事