論語の精神

2014.08.07
丹波春秋

 子(し)日(のたまわ)く。学んで而(しこう)して之(これ)を時習(じしゅう)す。亦(また)説(よろこ)ばしからずや。朋(とも)あり遠方より来たる。亦(また)楽しからずや。人知らずして而して(うん)せず。亦君子ならずや。▼「親子で楽しむ庄内論語」の冒頭の1節。「先生がおっしゃいました。『学んだことをいつもおさらいして身につけていくことは、なんとうれしいことではないか……たとえほかの人が認めてくれなくても不満に思わないで、自分の信じる道を歩んでいく。なんとすぐれた人物ではないか。』」▼山形県鶴岡市の元庄内藩校「致道館」で販売されていた。江戸末期に藩主酒井忠徳候が創設、明治に廃校になった後も建物が保存されただけでなく、ここを拠点に「個性尊重、自学自習」を旨とする、萩生徂徠の徂徠学の教学が今日まで引き継がれている。▼地元のIさんは「夏休みなどに素読の会が開かれ、その時は意味がきちんとわからなかったが、言葉は頭に染みついていて、大人になってから色々と思い当たることがある」と話した。▼同藩は官軍と戦った維新期、領民たちがこぞって民兵として参加。敗れて新政府から賠償金の支払いを命じられた際も、寄付金を集めて賄おうと行動し、感心した西郷隆盛が寛大な措置ですませたという。月山を望む雄大な自然のもと、こうした歴史を経ながら論語の精神が今に生き続けているようだ。(E)

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