亡くなった貝原前知事を、筆者が帰郷した1996年の暮れ、新年号用にインタビューした。「丹波の森」のこと、住民による町づくりのこと、地方分権のこと、交通網整備のこと等々、諄諄と語って頂き、予定の1時間を随分超えたと記憶する。▼「県と市町との関係」について、EU(ヨーロッパ連合)が出来た時の考え方として「補完の原則」というのがあり、「成熟社会では、自分たちのことはまずなるだけ自分たちでやり、どうしても出来ないことはより広域的な自治体で、それでも出来ない場合は国が、さらに国際組織で、という順に社会システムを作っていこうという流れだ」と言われたのが強く印象に残った。▼その後ウィーンの森との交流にも参加し、丹波の森公苑を毎朝のようにウォーキングするたびに、丹波の自然環境の良さを十二分に引き出して下さった貝原さんに感謝すると共に、果たして自分たちのことをなるだけ自分たちで良きようにやりとげているかと自省している。▼今月初め、京都で開かれた河合雅雄氏の出版記念パーティーでお目にかかった時も、乾杯のあいさつで「長く話していてはいけないのですが」と前置きしながら、やはり丹波の森のことに熱心に触れておられた。▼9日の丹波の森国際音楽祭にも姿が見えたという。心より哀悼の意を表する。(E)