創建時不詳。 特筆すべきは、 ここにある拝殿が、 変形された舞台であることだ。 猿楽、 農村歌舞伎、 そして浄瑠璃芝居などが催されたらしい。 この地域の当時の文化水準の高さを示している。
神社の正殿には、 重厚な竜の彫刻が頭を右方向に向けて、 にらみを利かしている。 また、 木鼻のところの唐獅子と獏の組み合わせも立派で、 重々しい雰囲気を醸し出している。 脇障子は空間を広くとって、 中国の仙人のユーモラスな表情をうまく表現している。 技量の高さを示す彫刻である。 6代目の中井権次橘正貞、 弟の清次良、 弟子の久須真助の合作である。 本殿前の社殿にも、 かなり大きな竜の彫り物があり、 これは頭を左上に向けている。 そこに 「大正十年酉三月日 本郡柏原町住 彫刻師 八代目 中井権次正橘正胤 行年六十八歳」 としるされている。 後の人がしるしたものである。
元高校教諭 岸名経夫