人との縁を財産に
(やぎ もとお)川西市在住
1956年(昭和31)篠山市西新町生まれ。篠山小、篠山中、川西緑台高校、京都外国語大学卒業。柏原高校主幹教諭、尼崎稲園高校、国際高校、宝塚西高校で教頭、芦屋高校校長を務め現職。
11日から夏の全国高校野球選手権県予選が始まる。大会を主催する兵庫県高校野球連盟会長に就任した。「甲子園球場の地元だけに、全国の頂点を目指すハイレベルな大会が目標。フェアプレーやマナーも全国に発信したい。現場の指導者とのパイプ役に」と抱負。高野連は、硬式と軟式野球の両方をカバーする。「野球の経験はないが、生徒たちにスポーツの素晴らしさを伝えたい」という。
父が赴任した大手メーカーの篠山工場近くの社宅で生まれた。その後、大阪に住み、小学4年生の時に再び篠山に戻った。篠山中学時代は卓球に打ち込み、3年生では主将として、県大会にも出場。コーラスや演劇、多紀郡弁論大会でも活躍した。「卒業式では、文武両道で頑張った人に贈られる『ささぎり賞』を唯一人受けたことが、その後の人生の励みになった」と話す。
中学校卒業後、丹波との縁が遠のいていたが、柏原高校勤務の辞令に、「不思議な縁を感じた」と話す。当時の吉田和志校長が発信した「校長室の窓から」などを総務広報部長としてホームページで充実させた。その後に勤務した高校でも、ホームページで学校の魅力を発信。「柏原高校勤務の5年間で多くのことを学んだ。中学校時代、卓球部で厳しい練習に耐えた仲間と数年前に偶然再会し、仕事上でも協力関係を築けた。人との縁が大きな財産」と笑顔。
教師になって最初に勤務した夜間の定時制高校を卒業した女子生徒の、「一度は太陽の下で勉強したかった」という言葉が心の奥にある。審判、グラウンド整備など選手を支える裏方があってこそ大会が成り立つ。「今年は夏の全国選手権が始まって100年、戦後70年の節目。野球のできる有り難さをかみしめたい」。