越智研一郎氏

2015.07.30
丹波春秋

 先日、岩手県大船渡市在住の野村節三・北里大名誉教授を訪ねた際、「柏原高校の同級生で早逝した越智研一郎君のことが今も悔まれる」と話された。▼「オチケン」と愛称された越智氏は日本の洞穴探検の草分けの1人。1956年、愛媛大の学生の時、山口県の秋芳洞で開かれた日本初の「ケービング集会」に参加。当時は同大と京都大がこの世界をリードしていた。▼新聞記者を経て60年代には3大鍾乳洞の一つ、岩手県・龍泉洞の調査に再三携わり、第1から第4地底湖までの発見に成功した。水深100にも及ぶエメラルド色の湖。次々に最奥部の壁をくぐって進んだ成果が、その後現在まで第8地底湖までの確認につながった。しかし68年夏、34歳の時、海底ケーブルの埋設工事をする会社の委託で潜った徳島県沖で事故死した。▼柏原高校で同じ生物班だった野村氏は「当時、松山確郎先生の下、氷上郡内で発見した野鳥や昆虫、植物は数々あったが、越智君の実績はめざましかった」と振り返る。卒業後も洞穴探検のかたわらスキーヤー、ダイバーとしても活躍した。▼ドラマにでもなりそうな快男児の50回忌も間近い。野村さんは、龍泉洞の資料館が近く改築されるのに向けて、オチケンの活動の写真や遺品と共にパネルに業績を紹介する一文を準備中という。(E)

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