選手たちのおかんに
兵庫県ホッケー協会の事務局機能が篠山市に移転したことに伴い理事長に就任した。「選手でもないし、ほとんど素人。実務は優秀な事務局がしてくれる。私の仕事は、選手たちと一緒になって喜んだり、心配したりすることですね」とあっけらかん。 みんなのおかんであることがモットーだ。
ホッケーとのかかわりは、2006年に兵庫国体のホッケー会場として篠山市が選ばれたことだった。「ホッケーと聞いても、『どこに氷があるんや?』くらいで、まったく知らなかった」。国体前に開かれた教室に、当時サッカーをしていた次男と参加。一度だけのつもりが、教室を終えた次男が言った。「おもしろいから続ける」
続けるからにはチームが必要になる。クラブや市協会も立ち上げた。その後、三男も選手になり、国体出場、全国優勝と期待に応えた。
「協会にいると自分の子だけでなく、ほかの子のことでも、わが事のように喜べる。県協会になったことで、篠山の子どもたちから、県内全体の子どもたちに広がっただけ」と笑う。
トップレベルの選手は、高校から市外へ出る。それでも、「いつか指導者として帰ってきてほしい。仕事があって、ホッケーができる環境をつくることが夢です」と意気込む。
東京五輪が近づく。出身選手が日本代表候補に選ばれており、出場も夢ではない。ホッケーはマイナー競技。だからこそ、大舞台で活躍できるチャンスがある。得られる感動を知っているからこそ、おかんの気持ちで口説く。
「国体選手目指さない? オリンピックも夢じゃないよ」
丹波市柏原町出身。54歳。