柏原方面からトンネルを抜け、少し下った所の小さな森に鎮座する。創建時ははっきりしないが、現在の社殿は大正時代の末期である。正面鳥居の左手に絵馬堂がある。色は褪せてはいるが、三十六歌仙の絵馬額がこの御堂の上部にぐるりと巡らされている。この社の神域は狭く、社殿は小作りだが手の込んだものだ。
中央向拝の狭い空間に迫力ある竜が左前方をぐっとにらんでいる。その上には力士が力強く屋根を支えている姿が見える。木鼻の左右には定番の唐獅子と獏が辺りをうかがっている。兎の毛通しに施された鳳凰は今にも翔び出しそうだ。又この社殿には、向拝下の持ち送りの海鳥、蟇股の山鳥など鳥の彫り物が多い。竹生島文様の湖上を奔る月の兎、長寿の鶴と亀等々も見ばえする。脇障子には、幼子を慈しむ翁と姥の姿が彫られている。地域民の平穏な生活を祈念する思いだ。8代目中井権次橘正胤の晩年の作。
元高校教諭 岸名経夫