井上雅二

2016.04.02
丹波春秋

 読者の方から「新聞編集の参考に」と1冊の分厚い書が届いた。昭和17年発行の『興亜一路 井上雅二』。朝ドラ「あさが来た」の登場人物のモデルになった春日出身の日本女子大学校長、井上秀の夫、雅二の伝記である。▼雅二は青垣の生まれ。マレー半島でゴムの栽培を手がけ、日本人のブラジル移民を推進するなど、およそ一生を海外開拓にかけた人物だ。10歳代前半は鳳鳴義塾で学んだ。▼先の書によると、鳳鳴義塾時代、教頭の排斥運動の首謀者の一人になったという。新進の学者だったこの教頭は、妻に対して丁寧に接し、身なりも美しく、いわゆるハイカラだった。対して生徒は蛮カラ。身なりを構わず、北風吹きすさぶ中も城の濠に飛び込み、胆を鍛えた。そんな生徒たちだから「男子の風上にも置けぬ」と、教頭の追い出しにかかり、雅二は数人の同志と共に弾劾文を書いたという。▼血気盛んな少年たち。乱暴と言えなくもないが、向学心も盛んだった。当時、若者の士気を鼓舞した頼山陽の『日本外史』などを愛読。なかでも雅二は、『日本外史』を一字一句も誤らずに暗誦してみせた。抜群の記憶力があり、成績は極めて優秀だった。▼デカンショ節に「丹波篠山鳳鳴の塾で文武鍛えし美少年」とある。この美少年たちが後年、日本の礎をつくった。(Y)

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