弔い

2016.04.30
丹波春秋

 篠山市人権・同和教育研究協議会が先ごろ発行した「ささやま人権の歴史まっぷ」を見ていて、初めて知る史跡があった。篠山城の石垣を築くための採石作業で命を落とした人たちを偲んだ供養塔だ。西紀の佐仲ダムに「南無阿弥陀仏」と刻まれた石碑があるという。▼西日本15カ国の20にのぼる諸大名を動員し、わずか9カ月で完成したとされる篠山城。石垣の石材は、市内の鷲尾、宮田、追入、当野、油井などでも調達された。命をかけた作業の中で多くの犠牲者が出た。▼供養塔を建て、死を悼む。この「悼む」は「痛む」に通じる。他者の受けた痛みを思いやるとき、自分の心も痛む。他者の痛みが死という極限に至ったとき、自分の心の痛みはさらに深まり、死を嘆き悲しむ「悼み」に転じる。▼思想家の内田樹氏は「人間は、死者の声が聞こえる動物」だという。過酷な採石作業で亡くなった者達の悲痛な声が聞こえる人間だから、死者の痛みを思い続け、冥福を祈って悼むのだろう。▼供養塔の一方で、篠山にこつ然と現れた豪壮な篠山城。まさに光と陰だ。金子みすゞの詩を思う。「朝焼小焼だ 大漁だ 大羽鰮の大漁だ。 浜は祭りの ようだけど 海のなかでは 何万の 鰮のとむらい するだろう」。篠山城築城という光の陰には、無名の死者への弔いがあった。(Y)

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