武庫川学院事務局長 公江茂さん(丹波市青垣町栗住野)

2016.10.02
たんばのひと

創設者の祖父の遺志継ぐ

 武庫川学院を創設した青垣町栗住野出身の公江喜市郎の孫。喜市郎の子どもは娘ひとりだったため、喜市郎の姉の息子が養子に入り、その長男として生まれた。8年前、喜市郎の生家を守っていた父親が死去。故郷と生家を大事に思っていた喜市郎の思いをくみ、それまで住んでいた宝塚市を離れた。今、生家を守りながら毎日、西宮市にある学院に通勤している。

 喜市郎は郷土愛が強かった。母校の芦田小学校にオルガンやピアノなどを寄贈。同校の記念行事には武庫川学院のコーラス部なども参加し、校歌の作曲は武庫川女子大学の音楽学部教授に協力を仰いだ。「喜市郎にとって、郷土を愛することは兵庫県を愛することであり、国を愛することにも通じた」という。

 戦後の1947年、天皇陛下が西日本に来られるとの情報を得て、武庫川学院への行幸につなげた。「無理だと思われることも成し遂げる。喜市郎には、困難なことにも粘り強く立ち向かう一面がありました」。喜市郎は、日本私立大学協会副会長など、30ほどの要職を務めた。「全国の私学の充実発展のために東奔西走していました」と、祖父を回想する。

 武庫川女子大学と丹波市は2年前、就職支援協定を結び、Uターン志望の丹波市出身の学生を支援。3年前から学生ら50人ほどが青垣に訪れ、農作業を体験している。丹波市の魅力を知り、Iターンしてくれる学生が出てくればとの願いもあるという。「丹波とのつながりが深い大学。ぜひ多くの人に入学してほしい」と呼びかける。

 武庫川学院にとって10月6日は「校祖の日」。喜市郎をしのび、立学の精神を再認識している。64歳。

関連記事