女性天皇は史上8人10代(2人が再即位)いらっしゃる。聖徳太子の叔母で法隆寺を建てた推古天皇は、必ず教科書に出てくる。百人一首の「春過ぎて夏来にけらし白妙の」で知られる持統天皇は天武天皇の皇后だった時から政治力を持っていた。▼奈良朝以後は久しく登場しなかったが、江戸時代初期に即位した女帝が明正天皇。2代将軍秀忠の孫に当たり、徳川家が外戚として朝廷に影響力を強める布石に狙ったものの、時の後水尾天皇がこれを警戒して6歳で即位させ、自分が上皇となって実権を堅持。徳川家を寄せ付けなかったと言われる。▼因みに秀忠の正室、つまり明正天皇の祖母はお市の方の3人娘の1人、江。彼女を通して、戦国時代の織田家や浅井家の血が皇室に留まることになった。また江の最初の夫は後に柏原藩の家老となった佐治与九郎。▼今上天皇の退位問題が一応決着し、皇室の次なる課題に女性天皇の可否が浮上する。根強い反対者は、「過去の女性天皇はすべて『男系』(父が天皇か皇族)」として、女性天皇を認めると、やがて皇族につながらない父を持つ『女系』天皇が出現する可能性に異を唱える。▼「卵子より精子第一」という考えだろうが、遺伝子を引き継ぐ点で両者に差はなかろう。現代の感覚はアマテラスの時代より退化しているのか。(E)