江戸時代は娯楽が少なかったせいか、庶民にとって花見は最高のお祭りだったようだ。小林一茶に「花の陰あかの他人はなかりけり」という句がある。咲き誇る桜の下で酒をくみ交わし、同じく花見に来た見知らぬ人も一緒になって陽気にはしゃいでいる光景が浮かんでくる。▼江戸時代、丹波の人も花見を楽しんでいたのではないか。そう思わせる句が田ステ女にある。「さくら色に顔も染けり花見ざけ」。顔が桜色に染まるほどに花見酒をあおったのだろう。浮き浮きした空気が伝わってくる。▼酒がセットになった花見。日本古来のこの文化について米国出身の日本文学研究者、ドナルド・キーン氏が60年ほど前に面白い指摘をしている。花見の核心は「できるかぎり大勢の人々とともに酔っぱらえるだけ酔っぱらって、自分が花見という観念を重んじることを示す点にある」というのだ。▼キーン氏に言わせると、日本人にとって花見は、桜を愛でることよりも、人々との仲間意識を確認し回復する機会だという。仲間意識を確認する上で酒は必要不可欠な代物という訳だが、ドイツのことわざに「酒がつくり出した友情は酒のように一晩しかきかない」とある。半面の真実であろう。▼桜の花ははかない。桜花の宴に浮かれ、酒の勢いで確認した友情もはかないか。(Y)