今から90年前の昭和2年の4月2日。当時、世に名をとどろかせた商社、鈴木商店がこの日、崩壊した。鈴木商店に勤めていた市島出身の西川政一は、「鈴木商店関係者なら忘れんとして決して忘れ得ない日だ」と書いている。傾いていた鈴木商店の立て直しがかなわず、万策が尽きた日だった。▼翌3日、西川は結婚披露宴を予定していたが、やむなく中止。仲人は、西川より12歳年上で、鈴木商店の屋台骨として活躍していた山南出身の永井幸太郎の夫妻が務めるはずだった。永井にとっても西川にとっても披露宴どころではなかった。▼二人はその後、鈴木商店の灯を消すまいと、同志と共に「日商」を創設。永井はのちに日商の社長となり、西川は、日商から発展した日商岩井の初代社長に就任した。かの鈴木商店に丹波出身の2人が働き、ともに日本の経済界を牽引する人物となった。▼西川は小学校卒業後、小僧として鈴木商店に入社した。先輩に同郷の永井がいることを知り、当時、ロシアにいた永井に手紙を出した。すると永井から「同じ丹波の産の山猿。世界を相手にしっかりやろう」とのハガキが届き、西川少年は感激。奮い立ったのが、のちの大成につながった。▼丹波を離れた二人が、郷土の絆で結ばれていたことを同郷人としてうれしく思う。(Y)