犬童球渓

2017.07.29
丹波春秋

 熊本県人吉市に人吉新聞社という、地方紙を発行している新聞社がある。同社から先ごろ、昨年3月からの新聞のコピーが届いた。音楽家の犬童球渓(いんどう・きゅうけい)に関する記事のコピーだ。人吉市は、「更けゆく秋の夜」で始まる唱歌「旅愁」の作詞で知られる犬童の故郷である。

 昨年で70回目を迎えた「犬童球渓顕彰音楽祭」や、犬童の暮らした旧居が記念館として生まれ変わったことなどを伝えている。これらの記事のコピーの枚数は13枚。しばしば犬童が登場しているのは、それだけ郷里で敬愛されている証左だろう。

 犬童は丹波市ともゆかりがある。東京音楽学校を卒業した明治38年の春、旧制柏原中学校に音楽科の初代教諭として赴任。しかし、バンカラ気質の生徒たちは音楽の授業を受け入れず、机を打ち鳴らし、野次を飛ばした。精神的に追い詰められた犬童はその年の12月に辞職願を出し、柏原を去った。

 苦い思い出のある柏原中だったが、犬童は、昭和3年発行の創立30周年記念誌に柏原中を懐かしむ5首の短歌を寄せている。「我は老いぬ然はあれども柏木の蔭の若人思へばうれし」。失意の地であったろうに、犬童は、柏原中で学ぶ若者たちを恋しく思い続けた。度量の広さと人間愛を思う。

 郷里の人吉市で今も敬愛を受けているのは、その人間性ゆえだろう。(Y)

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