唯一の存在「95歳までは」
茅葺き職人だった父を手伝い始めたのが18歳の頃。基礎を叩きこまれた後、父の勧めで同じ篠山市内の親方の元で修業。以来、6人の親方に付き、それぞれの個性、手法、くせを盗もうと技術を磨いた。6人目の親方が「おまえに任す」と自分の得意先を譲ってくれたのが60歳の頃。今では丹波地域で唯一の存在になっている。
18歳で茅葺の世界に入り、独り立ちできたのが60歳。いかに経験が必要かを物語る。屋根に上がれば、扱うのはカヤと、カヤを抑える竹、カヤを縛る縄のみ。自分の感覚と目だけで、測ったかのような屋根の曲線を生み出す。「家によって屋根の勾配が違う。特徴をつかんで、それに応じてきちんと葺いた屋根は傷まない、長持ちする」と話す。設計図は、頭の中。場数を踏んだ者だけが分かる「言葉では言いづらい」領域だ。親方に厳しく鍛えられたが、今では施工費を受け取るたびに「厳しい指導のおかげ」と思える。
今は3人に手伝ってもらいながら作業している。自身の存在も貴重だが、長年の付き合いで勝手の分かる“助っ人”陣も貴重。「小さな集まりだからこそチームワークよく、話し合いながらせんとあかん」と、気付いたことをアドバイスするミーティングを大切にしているという。
「うまく葺けた時はもう、何とも言えず気持ちがよい」と魅力を語る。しかし、その喜びを共有できる職人仲間がいないことの寂しさも感じている。父は82歳まで現場を見に来たという。「『まぁまぁよい』と言われたが、何がよかったかは言わなかった」と笑う。「私は120歳まで生きる予定。仕事も95歳くらいまではやりたい」と目を輝かせた。79歳。