復興支援きっかけに移住
作品「このまちと ともに」が、「丹波市の歌」の歌詞に採用された。「最初から最優秀賞を取ろうという意気込みだった。たくさんの応募(563点)の中から選ばれ光栄」と声を弾ませる。
名古屋市出身。20代の頃は大阪市でピアノ弾き語りのシンガーソングライターとして音楽に打ち込んだ。神戸市に越し、イベントやコンサートの音響技術者として生計を立てた。一時期、音楽専門学校の講師も務めた。
平成26年の丹波市豪雨災害時に、市島町前山地区でボランテ
ィアに従事する中で知人ができ、神戸から通って農業を学んだ。2月にIターン。「山や自然、人の温かさに触れ住みたくなった」。10アールあまりの農地で、無農薬無化学肥料の自然農法に挑戦中。
著名な千住明さんの曲に詞をつける企画に魅かれ、「採用されたら市に貢献できるのかな」と作詞に取りかかった。「3カ月間、思いつくまま単語を書き出し、毎晩ピアノに向かって、曲に合う単語を組み合わせた」。
「少しずつ歌詞をのせた時に、力があるメロディーだなと感じた。ありきたりな言葉が力を持った。千住さんはすごい」。
作曲が得意。「苦手な作詞で評価され、うれしい」。販売予定の大豆、黒大豆の出来が悪く落ち込んでいたところに朗報が舞い込んだ。「音楽で賞が取れ、救われた」。
週末の都市部での音響の仕事が主な収入源。都会への出稼ぎと農業と調整の日々。「自然に近く毎日幸せ。住んで良かった。180%満足しています」。副賞(10万円)の使い道は「草刈り機を買いたい。残りは大切に使います」。38歳。