ガラシャの香

2018.10.04
丹波春秋

 京丹後市の金剛童子山(613㍍)へ。かなり奥に入った登山口、味土野(みどの)という集落に明智光秀の娘、細川ガラシャの碑がある。本名「玉」は本能寺の変の後、夫の細川忠興(ただおき)によりここに2年間、幽閉された。忠興が恭順の意を示しての処置と言われるが、絶世の美女だっただけに、豊臣秀吉から守るためだったかもしれない。

 集落は50戸を数えた時もあったそうだが、1963年の「38豪雪」で壊滅的な打撃を受け、ほとんどの住民が離村。今は陶芸などをするため移住してきた人など数軒のみ。ガラシャからは少し離れた所に「味土野の跡」と刻んだ碑が、愛らしい地蔵さんに囲まれて建っていた。

 周辺を草刈していた人が「僕の家はこちらの崖の上にありました。今は壊してなくなり、作業用の小屋だけ建てています」。ソバや大豆、こんにゃくなどのよく整備された畑も残り、転出先の里の方から通ってくる人もいるらしい。

 公民館になっている「ガラシャ荘」という小さな家が、以前は小学校の分校だった所で、「3年生まで30人近くいました」。4年から本校まで片道5㌔を毎日通っていたそうだが、今はその本校も統合されてなくなっている。

 なだらかな道を1時間半進んで頂上に。一面ブナ林の梢から、ガラシャの香が微かに漂ってきたような気がした。(E)

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