1994年からミニコミ誌を発行。昨年末、24年間に及ぶ編集生活にピリオドを打つ終刊号を出した。「文字を通して人とつながりを持つ場でした」と話す。
元高校教諭。柏原高校を退職する1年前、「紙魚通信」と名づけたミニコミ誌を創刊した。読者は元同僚、同級生、友人知人、教え子らで、全国各地に散らばり、一人ひとりに郵送。多い時は120人を数えた。基本的にB4サイズの8ページで、毎月1回発行。読者から手紙やはがきで寄せられた原稿をはじめ、身近な自然への思いや、世相、政治経済に対する考えをつづった一色さんの原稿などを載せた。
2010年に「そろそろ引き際」と終刊。17年間、発行してきたことを伝える記事が丹波新聞に出た。そのことを伝える便りを読者に郵送したのをきっかけに、「たんば里山風便り」と名を改め、ミニコミ誌を復刊した。「紙魚通信」の編集スタイルを踏襲し、隔月で発行した。
「友達を紹介してくれる読者もおられる。その友達の中には広島や長崎の被爆者もおられ、新しい読者となって原稿も寄せていただいた。ミニコミ誌がきっかけで連絡が途絶えていた教え子との交流が始まったこともある。人との出会いがありました」。郵送に際し、あて名はすべて手書きした。ミニコミ誌の余白に読者一人ひとりに合わせたコメントを書き添えた。「時代遅れの変人です」とほほえむ。
「これまでに来た読者からの手紙やはがきを残しており、読み返す時もあります。亡くなった人もおられ、しのぶ機会になります」。体調を崩したため、「紙魚通信」も合わせて216号で終刊となったが、「まだ続けたい気持ちはあります」。84歳。