この電車は鳥居横を通過しまぁ~す なぜ?線路まで距離わずかの謎 踏切や道ないのに

2019.03.05
ニュース丹波篠山市自然

鳥居のすぐそばを走る電車=兵庫県篠山市波賀野で

この電車はぁ~、鳥居横を通過しまぁ~す―。兵庫県篠山市波賀野のJR福知山線沿いに稲荷神社の鳥居が建っている。線路までの距離はわずか10メートルほど。踏切もなく、線路の反対側に道もない。なぜ、こんな場所に?―。

 

かつては鳥居くぐってみこし奉納

稲荷神社周辺を描いた絵図。いつのものかはわからないが、左下に機関車が走っている

その鳥居は、JR福知山線と国道176号との間に挟まれるようにして建っている。国道を渡れば稲荷神社の本殿があり、参道であったことは推測できる。

波賀野集落は、民家の密集地が集落の北側を走る国道176号沿いと、田んぼを挟んで南側を走る国道372号沿いに分れており、公民館は北側の稲荷神社そばにある。

同集落に住む宮本武治さん(83)によると、かつて南側に住む人たちは、蛇行しながらも、ほぼ直線距離(約250メートル)をつなぐ狭い田んぼ道を通って同神社や公民館へ行き来していた。鳥居の前には踏切があり、太鼓神輿(みこし)も鳥居をくぐって奉納されていた。

 

地改良事業で踏切が移動

線路側から見た鳥居。国道をはさんだ正面には本殿の鳥居もみえる

昭和40年代後半に、両国道を挟む一帯の田んぼで土地改良事業が行われた。田んぼがきれいな形に整備されたことに伴い、両国道をつなぐ田んぼ道も付け替えられ、「稲荷前踏切」は50メートルほど西側に移動。鳥居だけが取り残された。

線路沿いの鳥居は1938年(昭和13)、同集落にある狩場酒造の狩場伊太郎氏が氏子の繁栄と家業の発展を祈念して建立。鳥居の表額は、同市城南地区出身で私立鳳鳴義塾(現・篠山鳳鳴高校)で学んだ陸軍大将、本庄繁氏が揮毫した。終戦時には連合軍の指示で撤去を命じられ、社殿に納めていた。昭和30年代に元の鳥居に戻そうとしたが、もっとよく見える所がよいという話になり、線路沿いの鳥居から国道をわたってすぐの、公民館東側にある鳥居(大正9年建立)に掲げられた。

宮本さんは、「線路や国道がついたことで立ち退きをしたりと、時代とともに村の形がこれほど変わった集落もないのではないか。あの鳥居も影響を受けた一つですね」と話している。

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