「赤鬼の城」にブーム到来 堅城に登山客続々と 光秀と激戦の赤井直正

2019.05.01
ニュース丹波市明智光秀と丹波地域

黒井城跡に登る登山客=2019年4月8日午後2時6分、兵庫県丹波市で

来年のNHK大河ドラマ「麒麟がくる」の放映に向けて、主人公の明智光秀と戦った「丹波の赤鬼」こと赤井(荻野)悪右衛門直正が城主だった兵庫県丹波市の「黒井城跡」には、阪神間のほか、四国、静岡などからの団体の観光客、個人では神奈川県などからも訪れる人が見られ、「赤鬼の城」に注目が集まっている。

 

激戦繰り広げた光秀と直正

山の頂上に築かれた黒井城。今なお石垣が残る

天正年間、織田信長の命を受けた光秀が、丹波国平定戦「丹波攻め」を繰り広げた。同3年、丹波国に覇を唱えていた赤井直正との戦いでは、直正が光秀軍を挟み撃ちにする戦法「赤井の呼び込み戦法」を展開し、光秀は敗走。この作戦は、同県篠山市の八上城主・波多野秀治が赤井方に寝返ったことに起因するともいわれ、直正と秀治との間にかねてからの密約があった可能性もあるという。光秀は同6年、再び黒井城を攻め、直正を病で失っていた赤井方は敗れ、黒井城は落城した。

 

光秀攻めあぐんだ難攻不落の堅城

城跡がある山頂では、季節によって一面の雲海が楽しめる

城跡のある猪ノ口山は防御のための曲輪や砦を至る所に張りめぐらせている。光秀が攻めあぐんだ400年以上も前の難攻不落の仕掛けに触れられるのが魅力。登山時間は30分程度で登りやすく、山頂からの360度の大パノラマが観光客を引き寄せる。黒井城が「続日本100名城」に選ばれたこと、今年が猪年で、城跡のある「猪ノ口山」にちなむのも追い風になっている。グループのほか、熟年夫婦、山城めぐりの女性の姿も目立つという。

高知県から訪れたのは、「光秀と本能寺」と銘打ったツアー客。黒井城を攻め落とし、丹波を平定した光秀は3年後に主君、織田信長を本能寺で討った。丹波平定で信長を喜ばせた光秀に何が起きたのかを探る目的で、光秀が治めた福知山城(京都府福知山市)、本能寺にも足を運んだ。ツアー客の女性(68)は、「ボランティアガイドの説明で山城の内容が良く分かった。山頂から光秀の陣城も確認できた」と話す。

 

西日本中心に遠くは北海道から登山客

地元のかすが観光案内所(丹波市春日町)によると、城跡のほか、徳川家光の乳母・春日局が生まれたとされる黒井城下館跡に建つ興禅寺などのガイドの案内依頼も増加。特に昨年に比べ、3月ごろから増え始めて同月で6件、4月に3件、5、7月にも予約が入る。

市観光協会が光秀や直正の市内ゆかりの地を表わしたマップを出したあとの反響も大きく、同協会本部やあおがき観光案内所(同市青垣町)には、阪神や加古川、滋賀県など西日本を中心に、遠くは北海道から光秀や直正に関連するパンフレットを送ってほしいという依頼があったという。あおがき観光案内所職員の女性は「光秀、直正だけでなく光秀の娘のガラシャなどについても聞かれる」と話す。

黒井城跡のおひざ元の住民らで作る黒井城跡地域活性化委員会(吉住孝信委員長)の動きも加速。発足してほぼ1年になるが、10数人で立ち上げた委員会もメンバーは40人近くに膨れ上がった。4月28日に開くイベント「ようこそ御茶の国丹波」の準備に余念がない。

吉住委員長によると、3月ごろから登山者の増加が目立つという。「福知山市の40人のグループが登ってきたり、京都府南丹市からの問い合わせもあり、光秀ゆかりの地どうしで広域連携してきた成果も現れ始めた」と語る。福知山のグループのなかには「黒井城跡は、来年はもっと大勢の人になりそうなので、今のうちに登った」と話す人もあり、まだまだ増えそうだ。

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