履正社エース清水君 響いた王貞治氏の言葉 小学校ではトランペット担当

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今夏の甲子園は、大阪代表の履正社高校の初優勝で幕を閉じた。同校のエースとして、日本中の球児が目指す舞台で好投し、チームに貢献した兵庫県丹波市出身の清水大成投手。マウンド上ではクールに見える清水君の素顔を知る同級生たちに話を聞いた。

 

友人の絵に描かれた姿

東小鼓笛隊の練習風景に描かれた清水君(左)=画・山崎颯太君

母校の東小学校は、6年生になると鼓笛隊としての活動がある。清水君はトランペットを担当した。卒業来、吹いていないが、運指は今も覚えているという。

2014年元日号の本紙に、トランペットを吹く清水君を描いた絵が掲載されている。描いたのは、同じトランペットだった山崎颯太君。自画像を描く課題で、一緒に練習していた清水君を登場させた。

同楽器が担当だった足立叶夏さん(柏原高)は、「お昼休みに一緒に練習した。指揮者を見て、一生懸命吹いていた」と、なつかしく当時を思い出す。

 

回転寿司20皿、後、ファミレス行く大食漢

小学校時代のニックネームは「たいポン」。同級生で陸上教室が一緒だった平出菜々美さん(福知山成美高)は「マヨネーズが嫌いで、ケチャップも好きじゃないと思う」と証言する。

清水君が帰省すると集まる氷上中学校時代の友人の一人、大前光瑠君(氷上高)は、清水君は絵が達者だったことを覚えている。「マンガ『ワンピース』のキャラクターを描くのがめっちゃうまかった。朝早く登校して、『黒板アート』をしたこともあった。字もめっちゃきれいだった」と、緻密で丁寧な面があるという。

小学校の自然学校で同じ班になって以来の友人のダコスタ・ルカ・恋温君(京都共栄学園)は「よく食べる。回転寿司を20皿食べた後、ファミレスで食事をし、デザートでしめる。『優勝したら、焼肉をごちそうしてくれ』と言われていた。おごらされたらヤバいです」と笑っていた。

中学3年時、席が隣だった廣岡愛さん(福知山成美高)は、「『緊張したらめっちゃ手汗かくねん』と言っていた」ことを思い出す。汗っかきの清水君にとって、甲子園の暑さも敵だった。

高木学哉君(篠山産業高)は、「長距離も短距離もめっちゃ速かった。2年の体育祭のリレーでこけたけど、それでも上位だった」と、身体能力の高さを覚えている。

中学校時代は、丹波篠山市を拠点に活動する硬式野球チーム「ベースボールネットワーク」に所属。同チームのチームメートで、親友の谷掛元基君(福知山成美高)は、「音楽が好きで、ずっと歌を聴いていた。バンプオブチキンやラッドウィンプスが好きだった。メッセージのやり取りで、顔文字を使わないのが清水」と、素顔を明かした。

 

努力は必ず報われる」―

そんな清水君の野球人生は、決して平坦なものではなかった。小中学校時代は目立った成績を納めることはできなかったものの、飽くなき努力を続けたことで高校で才能が開花。丹波で過ごした小中学時代の野球選手としての歩みを振り返る。

丹波市の少年野球チーム「東レッドソックス」出身。同チーム時代は同級生が2人しかおらず、中学時代の「ベースボールネットワーク」でも同級生が5人と少なかった。

「努力は必ず報われる。もし報われない努力があるならば、それはまだ努力とは呼べない」―。

母校の小学校6年生の同級生40人が1つずつを選んで編んだ「名言集」に、王貞治氏のこの言葉を選んだ清水君。

「ぼくは、努力は報われるという言葉を聞き努力をしてきたけれど結果が出ないことがよくありました。でも、この名言を聞いてぼくの努力がまだ努力に達していなかったことに気づきました。なので、これからは努力して結果が出なかった時は努力と呼べるまで努力していきたいと思いました」と、この言葉を選んだ理由を綴っている。

東レッドソックスの練習が終わった後、父の慎哉さん(45)と残ってキャッチボールを続け、6年生の終わり頃には、同級生が相手するのをこわがるほどの速球を投げた。「ずっとボールを触っていて、本当にこの子は野球が好きなんやと思った。試合に負けると悔し泣きをする一途さと、下級生の面倒をよく見る優しさが同居していた」と、レッドソックスの田中茂樹監督(56)は振り返る。

小学校卒業間際の2014年3月には、丹波市の6年生合同チーム「丹波ドリームス」の主将を任された。チームは大会で優勝し、初戦でホームランを打ち、決勝で完投した清水君は大会最優秀選手に選ばれた。この時、丹波新聞社の取材に「中学生では硬式で頑張りたい」とコメントしている。

 

70キロの選手背負い400メートル

優勝メダルを胸に閉会式に臨む清水大成君(選手の右から3人目)。優勝旗を持つのが野口海音主将。優勝盾を持つのが主砲の井上広大君=2019年8月22日午後4時45分、兵庫県西宮市の阪神甲子園球場で

硬式野球を志した中学校では、「練習量が豊富で一番鍛えてもらえそう」との理由で、ベースボールネットワークを選んだ。氷上中学校では陸上部に籍を置いたが、野球があり、あまり部活動には参加しなかった。

同じ左腕の火置昌宏監督(54)は、「1年の頃から躍動感があった。しっかり腕が振れていて、将来性を感じた」と言う。3年生からエースとなった清水君に、火置監督は特別なトレーニングを課した。体幹を鍛えるため、チームで一番体重が重い70キロほどの選手を背負い、約400メートルのグラウンドを1周させた。

清水君は、今春のセンバツ大会にも出場。同大会前の丹波新聞社の取材に、履正社より、ベースボールネットワークの練習がきつく、「何度辞めようと思ったか分からないほどだった」と語った。特に夏休みは、水曜以外、午前8時半から午後7時半まで文字通り朝から晩まで白球を追った。

火置監督と知り合いの履正社のピッチングコーチが、清水君の1学年上の安井勇人投手(環太平洋大学1年)を視察に来た際に、清水君が目に留まった。履正社の岡田龍生監督が左腕を探していたことから、安井投手に続き、清水君も履正社に進んだ。

ベースボールネットワークのチームメートで氷上中の同級生の橋本翔生君(福知山成美高野球部3年、センバツ大会に出場)は、「あれだけ厳しい練習に耐えたことは、気持ちの面で自信になったんじゃないか」と話す。

福知山成美は昨年秋の秋季大会で履正社と対戦し、清水投手に12個の三振を奪われ敗れた。同じ左腕。「氷上中対決」で投げ合いたかったが、登板機会に恵まれず、かつてのチームメートの快投を見るしかなかった。「中学時代からめちゃくちゃ良かったスライダーに、磨きがかかっていた」。

中学時代の女房役の中川翔貴君(京都共栄学園野球部3年)は、「清水はすごくて、全国4位のチームに投げ勝ったこともある。自分で配球を考えながら投げていて、僕が出すサインによく首を振った」と言う。高校1年の冬、チームのOB戦で球を受けた。「冬だったし本気で投げてはいないと思うけれど、ボールの回転が良くなっていて、伸びが増していた」と、高校での成長を実感した。

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