光秀の「城郭と合戦」一冊に ゆかりの城測量しデータ網羅 山城研究家の高橋さん

2019.08.28
ニュース丹波市丹波篠山市明智光秀と丹波地域歴史

「明智光秀の城郭と合戦」を出版した高橋成計さん。背後の山が黒井城跡=兵庫県丹波市春日町黒井で

全国各地の城郭を調べている山城研究家の高橋成計さん(大阪府高槻市)が、「明智光秀の城郭と合戦」(戎光祥出版)を出版した。兵庫県丹波地域の黒井城、八上城など、光秀による「丹波平定」関連など、掲載されている92の城郭の3分の2にあたる65城郭が、同県丹波市と丹波篠山市のもの。表紙写真にも黒井城跡を使っている。

天正3年、織田信長の命を受けた光秀が、丹波国に覇を唱えていた丹波市の黒井城主・赤井(荻野)悪右衛門直正と激戦を繰り広げた。直正が光秀軍を挟み撃ちにする戦法「赤井の呼び込み戦法」を展開し、光秀は敗走。この作戦は、丹波篠山市の八上城主・波多野秀治が赤井方に寝返ったことに起因するともいわれ、直正と秀治との間にかねてからの密約があった可能性もあるという。光秀は同6年、再び黒井城を攻め、直正を病で失っていた赤井方は敗れ、黒井城は落城した。

「丹波平定」関連含む92城を掲載

丹波地域の城郭は、ほとんどが戦のために築かれた陣城。自然地形を生かしたり、地面を削って平らな部分を作り兵が駐屯できる場所を作っている。攻めにくいように堀切(空堀)を設けるなどしている。

3部構成で、一部の「一筋にはいかなかった丹波攻略戦」では、赤井氏を降した黒井城合戦で21城、波多野氏を攻略した八上城合戦で38城を掲載。高橋さんが測量し描いた図面と、所在地、城主、遺構、規模、標高などのデータ、築城の目的、役割などの考察をそれぞれの城について記載している。

高橋さんは、「駐屯地で簡易な城が多く、城と気付かないようなものもあるが、土塁や堀切などの遺構があり、貴重」と言う。

高橋さんは、在野の山城研究家として30年来フィールドワークをしており、25年ほど前から八上城跡や黒井城跡に足を運んでおり、明智光秀が主人公のNHK大河ドラマ「麒麟がくる」が来年放映されるのに合わせ、光秀に焦点を当てた本を執筆。光秀の城郭と合戦という視点に立つと、光秀が生死をかけた丹波攻め、合戦の舞台の丹波・丹波篠山両市の城が中心になったという。

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