よぉ~見えるのぅ~ 光秀激戦の八上城、山頂の眺望改善 樹木300本を伐採、大河前に準備着々

2019.09.18
ニュース丹波市明智光秀と丹波地域

より多くの人に楽しんでもらおうと市が樹木を伐採し、眺望が改善した八上城跡=兵庫県丹波篠山市八上上で

来年のNHK大河ドラマ「麒麟がくる」の主人公で、戦国武将の明智光秀が城主の波多野秀治らと激戦を繰り広げた国史跡「八上城跡」が残る兵庫県丹波篠山市の高城山(標高460メートル)。「大河」放送を前に、より多くの人に八上城を楽しんでもらおうと、同市は山頂の主郭部一帯で樹木を伐採し、眺望の改善に取り組んだ。伐採はほぼ完了しており、山頂からは光秀が築いたとされる陣城跡や徳川家康が普請した篠山城跡などが一望できるように。同市は、「より歴史ロマンを感じられるようになった。ぜひ、たくさんの人に登ってほしい」と話している。

八上城跡の主郭部で行われた樹木の伐採作業

同市教育委員会文化財課によると、本丸、二の丸、三の丸、岡田丸、右衛門丸などの主郭部8000平方メートルで事業を展開。主に直径20センチ以上のヒノキや広葉樹など308本を伐採し、これまでよりも眺望が改善し、周辺にある八上城の支城「法光寺城跡」や、光秀が築いた陣城「般若寺城跡」などがはっきりと見えるようになった。

一帯は国有林のため、国から土地を借りて事業を実施。伐採費用などは約300万円だった。

八上城跡は、光秀が天正3年(1575)から織田信長の命を受けて行った「丹波攻め」の激戦地の一つ。当時、城主だった波多野秀治は、隣接する氷上郡を支配していた赤井直正の黒井城攻めに明智軍として参戦していたものの、突如として光秀を裏切り、赤井側についたことで光秀を敗走させた。

山中にある「磔の松跡」。光秀の母が磔にされたと伝わるが、現在は創作とされている

その後、再び、丹波に攻め込んだ光秀は天正6年(1578)に八上城を攻撃。波多野氏は天然の要害である八上城にこもり、1年以上にわたる籠城戦に臨んだ。しかし、補給路を断たれたことで城内では餓死者が続出。波多野側の内紛を経て落城した。

その美しい形から丹波富士とも呼ばれる高城山。石垣や堀切などの主要な遺構が残っていることから、2005年、国史跡に指定された。

光秀との激戦が壮絶な最期になったということもあってか、高城山には落城悲話が多く伝わる。光秀が人質として差し出した母親が磔(はりつけ)にされたと伝わる「磔の松跡」や、秀治の娘、朝路姫が落城の際に身を投げた「朝路池」がある。

同市は「麒麟がくる」の放映決定を受け、さまざまなPRや整備事業を実施。登山道入り口付近には観光駐車場(20台、今月下旬完成)や八上城跡を示す看板などを新たに整備し、大河をきっかけにした観光客誘致の準備を進めている。

同課は、「山頂から見える篠山城跡は近世の平城。中世から近世へと、城がどのように変わっていったかなど、日本の歴史の流れを感じることができる」とし、「安全に登山を楽しんでもらいたい」と呼びかけている。

山頂までは約40分。

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