漢方の里の復興目指す
丹波市の山南町薬草組合トウキ生産部会(14人)の会長を務め4年目。強壮薬として欧米でも高い人気を誇るセリ科の薬草「トウキ(当帰)」を栽培し続け30年以上になる。「機械による省力化が難しく、農家の高齢化も進み、生産量は右肩下がり。需要はあるのに、それに対応できていない」と悔しさをにじませつつも、「今年は30―40代の若手が3人も組合に入ってくれた。頼もしい限り。『漢方の里』の復興を目指し、『丹波とうき』のブランド名で一層PR活動にも力を入れたい」。
山南町和田地域では古くから薬草栽培が行われてきた。江戸期のオウレンから始まり、明治期にはサフラン、昭和期からはセネガを栽培してきた。しかしオウレンの市場が、安い中国産に奪われたため、それに代わる薬草をと1989年からトウキ栽培に乗り出した。最盛期には30人ほどの農家が約3ヘクタールで栽培していた。現在、ふるさと和田振興会や薬草薬樹公園、兵庫医療大学薬学部や行政と共に、トウキの葉を使った食品開発にも取り組んでいる。
中学を卒業後、家業の製材所を継いだ。建築請負もするなど手広い経営を行っていたが、住宅工法の変化などにより徐々に経営難に。「さて、どうしたものか」と思案していた最中、トウキと出合った。「手間のいるトウキ栽培としては大規模な20アールを一人で手掛け、1日で2000本の苗を植えたこともあった」と振り返る。
「もう84歳。本当は部会長を辞めたいけれど、こうして大役を仰せつかっていることで気力と体力が維持でき、元気で暮らせていることにもつながっているのかな」と笑う。