「物がなくなる」という訴えにはどんな思いがあるのだろうか。自分の存在感そのものが薄れていく不安の象徴なのかもしれない。
「財布がない」「お金を盗まれた」「母の形見の着物がない」等と訴える人がいる。
もの忘れが始まると、いろいろなことを忘れていく混乱と自分の存在の危うさ、物事が上手くできなくなる戸惑いに、足元が揺らいでいく不安を感じるという。物がなくなるというのは、自分の存在感そのものが薄れていく不安の象徴なのかもしれない。
ある女性からの相談は、一人で暮らす友人から「服がなくなる」「財布がない」と何度も同じことを訴えて電話がかかってくることだった。どうしたらよいのか…と。
しかも「近所の人が持って帰ったかもしれない」とまで言うようになり、女性も返す言葉が無くて、どう対応したら良いのかわからなくなった、ということだった。
お金も、服も、着物もその人にとって、自分らしさを表現してきた大切なものだ。
多分、大切なものをしまい込んで、いつもの場所を探しても見つからない、失うと困ると思うから余計に見つけにくそうな所に仕舞いこむ、という状況かと推測できる。
しかし、本人にとっては見つからないのが現実で困ったことなのだ。家族や周囲の人はそんなことがあるはずない…と大方の人が考える。
時々本人の言うことは本当だと思い込む人もいる。ここが難しい!事実と考えて、カギを何度も取り替え、防犯カメラを取り付ける。それでも泥棒は入ると訴える時、家族はやっと「おかしいぞ」と気づく。
この訴えにはどんな思いがあるのだろう、と考えてみたい。決して本人に向かって「嘘をついて皆を困らせてはだめだ」などと叱らずに。
そして、相談の女性には、「彼女はあなたに聞いてほしいのかもしれない。もの忘れが始まり、不安でたまらない孤独な時間をあなたに電話をすることで、寄り添って聞いてくれるあなたに頼りたい気持ちなのではないでしょうか」と返した。
女性は「そうですね。私を頼って電話をかけてくる友人の不安の訴えを否定せずに聞いてあげようと思う」と電話は切れた。
寺本秀代(てらもと・ひでよ) 精神保健福祉士、兵庫県丹波篠山市もの忘れ相談センター嘱託職員。丹波認知症疾患医療センターに約20年間勤務。同センターでは2000人以上から相談を受けてきた。