大晦日、正月が近づき、普段なら日本人が最も神社に足を運ぶ時期になる。兵庫県丹波篠山市上板井の天満神社では元日に行われる神事の中で、ふしぎな「モノ」が登場する。木の板に過去と現在の男女を描き、境内や御神木の下に置くというユニークなもの。地元住民は、「意味は分からへんけれど、ずっと続いている」。研究者でさえ、「いわれは不明。ある意味『奇祭』」という謎っぷりだ。意味は分からないまま、脈々と受け継がれている風習。みなさんの身近にもあるのでは?
「こんなん見たことあるか」―。始まりは友人からのメール。添付されている画像には2組の男女が描かれた板。1組は現代風の洋装で、もう1組は江戸時代風の着物。男性はちょんまげに裃、女性はまげを結っている。興味をそそられ、同神社に向かった。
◆その名はネムリ神
過去と現在の男女計4枚が1組となり、御神木2カ所と本殿の裏の計3カ所に置かれていた。
全国の祭礼などを記した書籍「祭礼行事」の兵庫県版で、同神社の神事を紹介した民俗芸能学会評議員の久下隆史さん(71)の調査によると、この板は地元で「ネムリ神」と呼ばれており、毎年、元日に行われる神事「シシオイ」で使われる。ネムリ神はその年度の宮当番によって毎年、元日に新しいものに更新されるという。既製品の板を使わず、ヒノキの丸太を割って板にするなど、こだわりがある。
シシオイでは、宮当番らが3組のサカキを2人で持ち、3カ所に置いたネムリ神の間を3往復。その後、ネムリ神の前に鳥居のように立て掛ける。
シシオイの後、「ハナフリ」と呼ばれる神事があり、2束のシキミを力士に見立てて相撲を取らせ、「(中略)照ったりや、降ったりや、夏栗山から雨が降る。太郎も次郎も、蓑傘持ってこい。ホーイ、ホイ」と口上を述べる。シキミは各家に持ち帰り、田に刺すという。
シシオイは名の通り、作物に害を与えるイノシシを追い払うもの。ハナフリはシキミを稲穂に見立てることで豊作を祈願する意味があるとみられる。
◆昭和50年代ですでに不明
いずれも農耕と深い結びつきがあり、シシオイ、ハナフリとも他地域にも存在する。ただ過去と現在の男女を描く「ネムリ神」という名では類例がない。久下さんが昭和50年代に調査に入った際、すでにいわれを知る人はいなかったという。
地元の上板井自治会長の明山重則さん(70)も、「村の中でもこの絵のいわれを知っている人はいない」と言い、「今まで何とも思わなかったけれど、言われてみると、なんなんでしょうねぇ」と笑う。
同神社は文安2年(1445)の創建。菅原道真のほか、末社に猿田彦命(サルタヒコノミコト)、素戔嗚尊(スサノオノミコト)などをまつる。
ここで気になるのが、現代人を洋装で描いている点。洋装が一般化するのは明治時代以降のため、比較的新しい風習なのか、それとも時代に合わせて現代人の姿が変わっただけで、古来、過去と現在を描いてきたのか。前年のネムリ神は焚き上げてしまうため、過去のものは残っていない。
探せる範囲で書物や論文を調べたが、シシオイやハナフリの記述はあるものの、ネムリ神のいわれについては書かれていなかった。
◆近くの神社に似た風習
いわれについて何かヒントはないか。久下さんに尋ねると、少し離れた同市高屋の天満神社に似たような風習があると聞き、現場に向かった。
そこには同じく男女が描かれた木の板が境内3カ所に。こちらは1組ずつで、子ども、大人、高齢者の3ペアだ。
高屋自治会によると、12月に宮当番が交代する際、前の当番が準備するもので、いわれについてはこちらも「分からない」。ただ絵柄から、「『3世代仲良く、健康に』という意味ではないか」と推測しているという。
改めて明山自治会長らに何か推測できないかと尋ねると、「家が幾世代にも続くようにとか、先祖とのつながりを感じることという意味があるのかも。また男性と女性を描くことから、夫婦仲良くといった思いがあるのかもしれませんね」とほほ笑んだ。
◆少子高齢化、社会変化 消える風習
少子高齢化や社会の変化の波を受け、村々に残る神事の中には簡略化するものが増えてきている。上板井の神事も一部を簡略化している。
久下さんは、「意味が分からなくなったり、手間が掛かると簡略化したりして、いずれ消えてしまうことがある。特に昭和30年代には田畑に機械が導入されたことで、神に頼る世界から機械や科学に頼る世界になった」とする。ただ「『やめたら何か(不吉なことが)起こるかも』という意識や、『先祖代々やってきて、自分たちの代で終わらせるのは』という気持ちもあり、簡略化しつつも残っている行事が多いですよ」と話す。
明山会長らも、「先のことは分からない」と言いつつも、「自分たちのいる間は継承していきたい」と話している。
今正月は新型コロナウイルスの渦中でもあり、シシオイは行うものの、ハナフリは中止する。中止は戦中などを除いてまれなことだそう。