今夏、故人の霊を移した木製の「霊璽」が多数見つかった兵庫県丹波篠山市の春日神社(一瀬貞明宮司)でこのほど、清めの儀式「清祓いの儀」が行われた。霊璽は仏教の位牌に相当するもので、祖先の霊が鎮まる「御霊代(みたましろ)」。背面に没年などが書かれており、明治37年(1904)―38年(1905)にかけての日露戦争の戦没者が多い。慰霊祭など、何らかの行事の際に使用されたとみられるが、詳細は分からないという。元日に同神社能楽殿で「翁神事」が控えていることから、能公演で使用する楽屋に安置していた霊璽を処分することにした。同神社の責任役員や氏子総代、霊璽に名前が記されている故人の遺族ら11人が集い、厳かに神事を行った。
今年度、国重要文化財の能舞台の修復工事が行われていることに合わせ、氏子らが清掃作業を行っている最中に、楽屋の屋根裏で見つけた。181柱あり、大きさは高さ30センチほどのものから1メートル近いものもある。
見つかった後、同神社を管理する崇敬会が中心となり、汚れをふき取ったりして丁重に保管していた。
一瀬宮司による神事では、全ての霊璽を楽屋に並べ、共に見つかった巨大な「三方」に作物を載せた。一瀬宮司によると、霊璽は屋根裏にあったことから、御霊が抜かれてあると考え、処分する前にお清めの儀式を行った。
曾祖父の金蔵さんの霊璽があった中本利治さん(77)も参加。中本さんによると、金蔵さんは日露戦争の激戦地、中国遼東半島の旅順にある二〇三高地の戦いに陸軍兵士として参戦し、亡くなったという。夏になると、祖父が「親が(春日神社に)おるから、お参りに行くんや」と話していたことを覚えており、「感慨深いものがありますね」と話していた。
能舞台修復実行委員会長の原田拓朗さん(77)は、「処分に当たり、故人に失礼にならないようにおはらいしてもらった。無事に終えられてほっとしている」と安堵していた。