兵庫県丹波市立植野記念美術館(氷上町西中)で「寅年・新春記念展―丹波を訪れた四人の巨匠たち」と題した展覧会が開かれている。近代日本画の巨匠で、いずれも丹波を訪れたことがある富岡鉄斎、幸野楳嶺、大橋翠石、小川芋銭の4人の作品計90点を展示している。そのうちの半分が丹波地域に残されたもので、丹波との関わりの深さを物語っている。3月13日まで。一般600円、大学・高校生300円、小中学生150円。
開幕初日の15日には、大阪国際大学の村田隆志教授の講演があった。要旨を紹介する。
政令指定都市は別にして、これだけのネームバリューのある4人の作品を集め、地域ゆかりの作品展として開ける自治体は珍しく、少なくとも県内では他にない。
富岡鉄斎の母親は同市春日町の黒井村の出身。母親を通じて丹波との関わりが深く、作品が多く丹波に伝わっている。
幸野楳嶺は、ほかの3人と比べて知名度が落ちるかもしれないが、竹内栖鳳や植村松園らを育てた画家だ。理由は分からないが、明治初期、同市で長く滞在した。
小川芋銭は、丹波から遠く離れた茨城県に住みながら丹波と深い縁を持った。こうした例は、日本美術史では珍しい。同市市島町の酒造家で俳人でもあった西山泊雲という良き理解者を得た。2人は頻繁に手紙をやりとりしているほか、芋銭は西山家に滞在し、丹波の風景を描いた。西山家の近くの石像寺に伝わる作品「丹陰霧海」(稿本)は、丹波霧を描いたもので、じっくり見ると、霧が動いているように見える。今回の作品展で展示されているので、ぜひご覧いただきたい。同市の市指定文化財にしていいだけの価値がある作品だ。
大橋翠石は1900年のパリ万博に虎を描いた作品を出し、ほかの日本からの出品者である横山大観らを押しのけ、日本人として唯一、金牌(金メダル)を得た画家だ。
神戸の須磨に住んでいた翠石は、川代渓谷の美しさを聞き、福知山線に乗って丹波にやって来た。そして同市柏原町の駅前にあった岡林写真館を訪ね、川代渓谷の写真を撮ってほしいと依頼したのだろう。それがきっかけで岡林家との縁を得た。今回の作品展で展示されている作品「獅子之図」は、岡林家の人たちの前で描いたもの。私の知る限り、翠石が人前で描いた作品はこれしかなく、岡林家とのつながりの深さを感じる。翠石の作品には、川代渓谷の景観を取り入れたと思われるものがある。